武士はバンドワゴンに乗らない

人生において二者択一を迫られた時に、私は、いつも葉隠の一節を思い出す。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり」である。葉隠では、重大なことは常々よく考えておき、選択を迫られたときには毅然たる態度で決断しなければならないと教えている。しかも、人生における二者択一は、どちらが正解か分からないことが多いので、損得で考えても無駄である。であるから、一見、損な方(生死の二者択一なら死の方)を選んでおけば後悔することもないであろうとも解釈できる。

研究者は、卒論として所属する研究室選びに始まって、独立してからの研究テーマの設定など、様々な局面で「選択」(実際には、二者択一ではなく複数選択肢から一つを選ぶ場合が多いが)しなければならない。私も、運命のいたずらと様々な選択を経て、無限の可能性の中から「唯一の現在」に至っている。

二十数年前に、私がポスドクとして米国癌研究所(NCI)に留学した頃は、癌遺伝子研究の絶頂期で、癌遺伝子ハンティングで一旗揚げようとする野心家が世界中に大勢いた。また、私が研究室を立ち上げた十七年前は、米国NIHにゲノム研究センターが設立されて、国際プロジェクトとしてヒトゲノムの解読がスタートしようとしていた頃である。

ゲノム科学の大ブレークとともに、多くの研究者は、ゲノム科学との接点を求めて研究内容を変えていった。このような流行がもたらす効果を、米国の経済学者ハーヴェイ・ライベンシュタインは「バンドワゴン効果(Band Wagon Effect)」と表現した。バンドワゴンとは、サーカスの宣伝パレードの先頭を走る楽隊を載せた馬車のことである。バンドワゴン効果の説明にライベンシュタインは、ファッションにおける流行を例に引いている。すなわち、皆と同じような服装や髪型をすることで安心する現象である。

しかし、研究とは、知的好奇心を原動力として、研ぎ澄まされた心で真理を追究することであるから、他人の動向を気にする必要はない。研究費の動向に合わせて研究テーマを変えているようでは、流行の終焉とともに消滅してしまう無意味な仕事になってしまう。大きな予算が動く国家プロジェクトに、研究者は魂を奪われないように十分注意する必要がある。iPS研究のように、強力なバンドワゴン効果をもつ研究についても、同様である。

私にとっては、微生物と生理活性物質の魅力は、何物にも代え難く、軸足は常に微生物の二次代謝産物研究に置いて来た。一方では、その生理作用を利用して癌の治療法を研究したいと思っている。芭蕉は「古池やかわずとびこむ水の音」の句で、彼自身の俳諧理論「不易流行」を見事に表現している。すなわち、古池で不易(変わらないこと)を表現し、かわずとびこむ水の音で流行(変わること)を表現し、その対比の美しさを詠っている。

私の研究では、微生物および生理活性物質が不易であり、化合物の標的が流行と言える。研究者の努力も重要であるが、ユニークな微生物や、選択的かつ強力な生理活性を発揮する化合物を研究するとオンリーワンの独創的研究に発展する。研究において最も大切な探究心を持ち続けて、不易流行の研究を継続したいものである。

化学と生物 平成21年4月号 巻頭言)