化学物質で生命を探る ~ケミカルバイオロジーへの誘い~

2008年のノーベル賞は、物理学賞、化学賞と立て続けに日本人の名前が挙がって、日本中が興奮しましたね。テレビでノーベル物理学賞発表のニュース解説を見ていたら、アナウンサーが、「その研究って、何の役に立つのですか?」と解説者に聞いていました。解説者は、「物理学の基礎研究は、文学と似ているところがあるのです。すぐに役に立つかどうかは分かりませんが、宇宙の成り立ちを理解することにつながり、人の心を豊かにしてくれるのです」と言っていました。この話は、物理学だけでなく科学全般に言えることだと思います。すぐに役立つ科学技術もありますし、当面は何の役に立つのか説明しにくいけれど、知的好奇心を刺激してくれるだけで十分に面白い科学もあります。

最近、若者の理科離れが話題になることが多いのですが、その理由の一つに、科学が細分化して全貌が見えにくくなったことが挙げられると思います。真理を探究するためには深く掘り下げて研究しないと見えてこないものもありますが、物理、化学、生物という垣根にこだわっていては、理解できない真実もあります。生命の仕組みを理解するためには、生物の設計図であるDNAの化学構造を知ることや、化学反応を理解することが必要です。

しかし、生物と化学を区別してしまっては生命の神秘を解き明かすことはできないでしょう。ケミカルバイオロジーは、化学と生物を融合することによって、あるいは、化学的な視点から(化合物を使って)生命現象を解明しようとする学問と言っても良いと思います。ノーベル化学賞を受賞した下村博士は「緑色蛍光蛋白質の発見と応用の研究が、医学生理学賞ではなく化学賞だったことに驚いた」と、コメントしていましたが、博士の研究はケミカルバイオロジーの研究手法と一緒なので、私は化学賞でも違和感はありませんでした。

以前は、ある蛋白質の細胞中の存在場所や挙動を見ることは、容易ではありませんでした。しかし、緑色蛍光蛋白質を見たい蛋白質と融合させれば、緑色蛍光蛋白質が目印となって、その蛋白質が細胞の中で何処にあるのか見ることができるのです。ケミカルバイオロジーでは、緑色蛋白質よりもっと小さな化合物を目印(バイオプローブ)として、蛋白質の働きを解析しています。バイオプローブは、生命機能を探るだけでなく、創薬リード(薬を開発する時の種)としても期待されます。

ケミカルバイオロジーは、新しい学問なので、適切な教科書も、素人向けの解説書もほとんどありません。しかし、本書は、ケミカルバイオロジーの研究内容が、身近な物語として分かり易くまとめられています。昆虫が愛情表現に使うフェロモンや、魚や海綿などの海洋生物が作る猛毒など、微生物、植物、昆虫、魚、など様々な生物が作る化合物の物語がオムニバス形式で紹介されています。そして、各章の扉には、迷探偵マイホームズ(図)が、その章の概要を紹介しているので、どこから読み始めても、 読み飛ばしても十分理解できます。先ずは、書店で手に取ってみてください。きっとケミカルバイオロジーの面白さに触れることができるでしょう。

迷探偵マイホームズが、ケミカルバイオロジーの世界を案内してくれます。化合物を手がかりに生命現象の謎解きをしましょう。

オーム社「入門ケミカルバイオロジー」:Link

(OHM BULLETIN VOL.44 冬)