座右の銘にして20年「生かされている」

私は、第一回(1989年)の加藤記念研究助成金を頂きましたが、それからもう二十年も経ったのかと思うと感慨ひとしおです。当時、論文を書く時には測定器に付属したパソコン(PC98)を使っていたのですが、助成金で、書類作成用のパソコンを買うことができて嬉しかったことを思い出します。しかし、以下では別のことを書きたいと思います。

1983年に、私は理研の抗生物質研究室(磯野主任研究員)に入れて頂き、1985-6年に米国留学の機会を与えられました。一年余りの滞在でしたが、表皮細胞増殖因子(KGF/FGF7)を発見できたので、この経験を基に、帰国後はその阻害剤の研究をしようと決心しました。助成金を頂いた頃は、がん関連増殖因子に対する阻害剤を微生物から探索しようと意気揚々としていましたし、米国で強烈な個性を持つ研究者たちと接した直後でもあったので、競争心が強かったと思います。自分の力を過信して、シャカリキに研究していました。
そんな時に、加藤辨三郎翁が揮毫した「生かされている」の記念盾を頂いたのです。「生かされている」という言葉にめぐり会って、人間関係も研究環境も、自分の意思だけで決定できるわけではなく、相互に関係しあって依存しあって成り立っていることに思い至りました(あの世から、辨三郎翁の「分かった様な顔をするな」という声が聞こえてきそうですが・・・)。仏教やキリスト教では、縁起や愛という言葉で表現するのかも知れませんが、「生かされている」という心は、いずれの宗教でも共通しています。
「生かされている」という気持ちは、自分の周りにある全てのものに対する感謝の念を言い表しているのです。

我が家では、子供たちが小学生の頃、正月の書初めを恒例にしていたので、私も一緒に「生かされている」と書初めしていました。今では、研究室を巣立っていく若者に「生かされている」の言葉を贈っています。若い時には自分自身の力を信じて突き進む無謀さも大切ですが、「生かされている」ことを意識していれば、謙虚さを失うことなく幸福な人生を歩むことができるという思いをこめて。
加藤記念バイオサイエンス研究振興財団 二十周年記念誌 平成21年3月)